1月の日記(後半)

 

2004年1月28日

昨日の続報。
要は僕の身から出た錆、だったと。

7年前に滞納していた住民税1年分、差し押さえされてました。
総額17万(;´Д`)

納税は国民の義務。
税金はきちんと払いましょう。
って僕が言っても説得力ゼロですなw

来月は自動車税払わなければ。また貯金切り崩すのか…。


2004年1月27日

給料日だったのすっかり忘れてて、仕事帰り(20:00過ぎ)に残高の確認だけをコンビニのATMで。
あれ。
…なんか少ないぞ?

これでも年齢と同じ数の諭吉様を毎月手にしている身。
先に送られてきた給与明細もそんな感じだった。
なのに口座の残高が…。

諭吉様20枚以上足りないジャン!

あわてて本社の総務や人事、経理に電話しても、時間が時間だけにつながらず。
銀行の窓口だって閉まってる。

誰かに勝手に引き出されたのか?
それとも会社が振込金額を間違えたのか?
いずれにしても明日にならなければ判りません。

なわけで、明日の朝一から銀行にいく羽目になってしまいました(;´Д`)
今は不安なまま、眠れぬ夜を過ごしております。
ぶっちゃけ恋愛どころじゃないっす…。


2004年1月23日

どうやら僕は恋をしているらしい。


2004年1月22日

オープンなコミュニティが排他的な方向に向かうのは寂しいやね…。
僕はAUのユーザーじゃないから参加できなくなるのかな…。

とか独り言を言ってみる。


さて、うちの職場では、いまインフルエンザが大流行。
おかげでみんな、インフルエンザに関して詳しい詳しいw

「おなかが痛くなったら疑ってみるべき」
「一度熱がひいても、また上がるから油断できない」
「脱水症状になりやすいから水分をたくさん摂ろう」
まさに、経験者は語るですなあ。

高熱と腹痛に苦しめられているそこのアナタ。
インフルエンザかもしれませんよ。こんなページ読んでないで安静にしてください(^^;)


2004年1月21日

霞ヶ関の国会図書館へ行ってきました。
ここは国内で発行されたすべての書籍刊行物を所蔵する巨大アーカイヴ。
その数は実に1,200万冊にも及びます。
普通の図書館のような利用法も出来ますが、特に雑誌のバックナンバーを探すのに大変重宝します。
出版社に在庫のないバックナンバーや、そもそもバックナンバーを扱わない雑誌
(住宅販売・就職転職情報・車売買・オーディション告知・懸賞募集などの雑誌は、情報が生ものな為、出版社がバックナンバーを扱いません)
でも、ここにくれば無問題。ちゃんと見れます。

今日は「星ナビ」と言う雑誌(天体観測情報誌ですね)のバックナンバーを探しに。
国会図書館に行ったことのない方に簡単な説明を…。
普通の図書館のように、本棚をめぐって蔵書を探す訳では有りません。
先ずはコンピュータ端末で、見たい本を検索します。
見つかったら、その結果を持って受付カウンターへ。
しばらくするとコンベアで希望の本が運ばれてくる、という仕組みです。

一度に借りられる冊数は限られています。
「あの記事の載った号って何号だっけ」とかうろおぼえでは、お目当てのものに辿り着くまで手間取ります。
一応記事の見出しでも検索は出来ますが、あらかじめ○年○号が見たい、と決めてから行くことをおすすめします。

本の館外への持ち出しは出来ないのですが、代わりに館内で複写サービスを利用できます。
1枚あたりの料金は割高ですが、他に方法が無いため仕方ありません(;´Д`)

探していた記事をあっさり見つけ、そそくさと複写。
本館屋上階の食堂で昼食を摂りながら熟読。

午後は記憶をたどりつつ「そういえばあの雑誌が見たい」「あの記事って何時のだっけ」
と適当に検索しては出てきた雑誌を読むの繰り返し。
結局閉館ギリギリまで居座りました。

国会図書館というと堅苦しいイメージですが、18歳以上の方であれば、すごく気軽に利用できます。
地方の方でも、地元の図書館を経由して資料の複写ができるサービスがあります。
お近くの方、一度利用してみては?


2004年1月20日

このサイトは、萌え系イラストと称してアニメ風女の子のイラストを公開していますが、
そもそも「萌え」ってなんなのでしょう?

もえ 【萌え】

ある人物やものに対して,深い思い込みを抱くようす。その対象は実在するものだけでなく,アニメーションのキャラクターなど空想上のものにもおよぶ。
〔アニメ愛好家の一部が,NHK のアニメーション「恐竜惑星」のヒロイン「鷺沢萌」に対して抱く,ロリータ-コンプレックスの感情に始まるといわれるが,その語源にも諸説ある〕

三省堂「デイリー 新語辞典」より


…こういう解釈も存在するようですが、現在では用途がかなり広義かつ曖昧になってきて、
巷の女性が口にする「可愛い〜」と同じ程度の安易さで使われています。

で、僕が描いているような絵は、「萌え系」と呼ばれるくくりに当てはまる、と言うわけです。
認識が確立されている分、説明もラク。
「どんな絵描くのかって?萌え系ですよ」
「ああ、萌え系ですか」
これで相手を理解させてしまえる位、現在では確立されたジャンルなんですね。
というわけで、あんまり深く考えず、そういうものなのだ、と思ってご覧下さい。
そうそう、ためしに「萌え系」でググって(検索して)みてください。そこには、あなたの想像を超えた世界が…(笑


2004年1月19日

キーマンと思える人を片端から捕まえては口説き落とし、上長を粘り強く説得し。
時には間を飛び越えて部長に直談判をし。
やっとの思いでひとつの企画を立ち上げることが出来ました。

僕にはまだまだ組織内での力が足りないので、自分のやりたいように仕事を動かすにも、それなりの苦労が必要です。
ネゴシエーションとかプレゼンテーションとか。この仕事で随分鍛えられました。
外から見たら適当な仕事に見えるかも知れませんけどね。僕も最初はそう思ってましたよ。
でも責任職になったら、見える景色も変わりました。

一生続ける仕事か?と言われれば答えに躊躇しますが、僕は当分はこの仕事で頑張ってみようと思ってます。
だってビジネスとして、メチャメチャやりがいあるもの。


2004年1月18日

昨日の日記が色々な方面に波紋を広げてしまいました。
ご心配をおかけしたこと、この場を借りてお詫び申し上げます。
どうも事実誤認があったようで、正確には、
刃物を突きつけられた男性が、身の潔白を証明するために「自分で」自分の腕を切ったのだそうです。
それはそれで凄いことだと思いますが…。
その後結局、何事も無かったかのようにモトサヤに納まったとのこと。
ま、一件落着ですな。

最悪の別れ方をして、嫌いで嫌いでどうしようもなかったんだけどね、彼女のこと。
それでも、こんな便りを聞けば、幸せになって欲しいと願う僕も、確かに居ます。
…それって只の「ええかっこしい」なのかもね。 つくづく、俗物だなあ、自分。


…これって「青春真っ只中な悩み」なのかなぁ?


2004年1月17日

※長文な上に内容がダークです。あらかじめご了承の上お読みください。



今日の夕方、知人から連絡があった。
以前別れた女性が、交際中の男性を刃物で傷つけたそうだ。
幸い、腕に切り傷を負ったものの命には別状ないとのこと。
事の経緯としては、浮気を疑った彼女が激情のあまり発作的に切りつけてしまった、ということらしい。

彼女は、僕と付き合っていた頃も、かなり嫉妬深い女性だった。
なにしろ男友達と会っていても30分おきに電話が入ってくる。
電話やメールの履歴は逐一、無断でチェックされ、不審な発着信は徹底的に追及される。
怒ると手が付けられない。壁を叩く。蹴る。刃物を持ち出す。突きつける。携帯を窓から放り投げる。
さらにエスカレートすると、自分なんてどうでもいい、と自傷行動に出る。

彼女に言わせれば、僕は信用のない男だったのだそうな。
曰く、誰にでも優しいから、自分以外の存在を疑ってしまう。
私にだけ特別に優しくしてくれなければ、安心できない。
母子家庭で、幼い頃に母親に虐待されて育ったからか。
いつも愛情に飢えていた。言葉や態度で愛を欲しがった。
極度の寂しがり屋。

そして、自分なんて居なくても同じだ、と、時々口にした。
彼女はこの社会の中での、自分の存在理由を常に欲していた。
芝居好きな彼女は、声優になろうとオーディションも受けた。演劇のステージにも立った。
それは、誰かに自分を認めてもらいたいという、彼女なりの意思表示。
僕が彼女との交際を止めなかったのは、そんな彼女がとても輝いていて、精一杯サポートしてあげたいとの思いが強くあったからだろう。
結局、彼女はある劇団の主宰と恋に落ち、結果、僕との交際は破局を迎えるのだが。

それでも、彼女が幸せなら良い、と思った。
僕が出来なかったことは、次の彼なら出来るのかもしれない、とも。

彼女は何処へ行くのだろう。
幸せのありかには、たどり着けるのだろうか。
心が痛い。
多少なりとも彼女の人生に関わったから、だろうか。
そして僕は今、人に恋するのが怖い。
結局今まで、誰も幸せに出来なかった自分が、情けない。


2004年1月16日

芥川賞の受賞者が史上最年少だそうで。
このニュースを見た僕の感想。

「話題つくり以外の何物でもないな」

作品自体の論評は僕には出来ません。
だって批評家じゃないからね。消費者としての感想は書けると思いますが、未読なので何とも。

ただ選考自体に、非常に作為的なものを感じます。
要は、「活字離れが進み困窮する出版社が、若年層を呼び戻すため芥川賞の権威を利用した」様に思えるのです。
受賞者が両方とも20歳以下なんて。本当に「たまたま」なんでしょうか?

こうした疑問を抱いているのは僕だけではないようで、色々な掲示板で議論が起こっています。

若者の活字離れを何とかしたい、という気持ちは解ります。
そのために多様な手を打っていくのは、間違ってはいないと思いますが、
露骨な誘導は返って、長い目で見た場合の賞の権威を失墜させるものではないでしょうか。
来年以降の選考は、純粋に作品の質のみで行われるように願いたいものです。


TOPへ